番外:日本社会の分水嶺(3人組強盗について思う事)
最近多発している一連の3人組強盗事件について、私は大変に大きな危惧を感じている。その危機感は、日を追うごとに高まるばかりである。この思いを記録に残しておこうと思う。
まず、事件自体はご存知のように、闇バイトとして雇われた覆面強盗が民家におしいって金品を奪う、そして大半は在宅中にそれらが行われるというのが特徴らしい。
指示役と手先という、悪の元締と切り捨てられる手下という構造もあるらしい。
ホームセンターでは防犯グッズの売れ行きが盛んであると言う。
そりゃそうだ、明日は我が身と思う危機意識の高い方にとっては当然の行動だ。
しかし私が危惧しているのは、この事件の行き着く先である。
私の頭の中に、かつて北米・南米でみた、高い壁のある高級住宅街が頭に浮かぶ。
そう、これは過去の、そして現在も続くアメリカ社会の一つの姿だ。
高級住宅街に住んでいる同僚に会いに行くために、セキュリティチェックを受け、厳重に(そしてなんだか怖い思いをして)警備にボディチェックをされた想い出が蘇る。単に知人に会いに行くのに何でこんな不愉快な目にあわないといけないのだ、と憤慨したものである。ただ同僚曰く、「そうしないと、いつ強盗が入ってくるかわからないからね、必要コストだよ」と言っていた。私はその同僚に「日本だとそこまでセキュリティコストを支払って警備する必要はないかな。まあ泥棒に入られても、盗まれて困るようなものもないのだけど。ワハハ」と言っていた自分を思い出す。同僚は、信じられないような目をして、「それはすごい社会だ。正直うらやましいけど信じられないよ」と言っていた。
今回の事件を見ていて私が最初に頭に浮かべたのは、この10年以上前の会話である。
ただ、この事件を徹底的につぶさないと、盗賊が跋扈する社会になり、非常にセキュリティコストの高い社会になってしまうという予想は、あながち間違いではあるまい。
おそらく得をするのは警備会社だけである。
これは大きな分水嶺だと思う。一旦、警備システムが入りだすと、横並び意識が強い日本社会である、次々と導入は加速するだろう。
ではそれで盗賊はいなくなるのだろうか。私の予想は否である。
ただでさえ人不足だと言われているのに、みんながみんな警備システムを導入したら、きっと警備会社は人不足になるだろう。多発する事件に対応できるリソースはない。そうすると、その間隙をぬって、捕まるリスクより、一発当てるギャンブル心がまさって抑止力にならないのは自明である。実際アメリカはそうなっているではないか。
下手をしたら警備会社に盗賊が紛れ込んで、悪用するなんてことも起こりうる。
そして最後は、金持ちが堅固な砦を築くにいたる。
安全性を保てるのは、金持ちだけだという結果になるのではないだろうか。
じゃあ町中に監視カメラを増やせばという話であるが、それはそれで一理あるが、そんなものはどうとでも抜け道があるような気がするし、田舎じゃ無理だろう。
コロナでテレワークが加速して、東京一極集中が緩和され、地方へのUターン、Iターンが増え、田舎ぐらしの魅力が増して、地方財政の改善につながる兆しも見え始めているのに、何だか田舎は危ないという風になるのも、個人的に嫌な気分である。
一方で日本社会としても反省すべき点があるかもしれない。
捕まった手足の人が言っていた「強盗はコスパが良い」という表現が気になった。
タイムパフォーマンスがブームの今風な表現だが、裏をかえせば、コスパが悪いことはしたくないという事でもある。
どう考えても、逮捕されて、悪の手先としてトカゲのしっぽキリよろしく、のリスクが高いのでコスパが良いように思えないのだが、そのような判断はできないようだ。
楽して稼いで、一発当てたいというのは、裏を返せば、地道な努力をして
幸せになる希望が見えないという可能性もある。親ガチャや希望格差社会なんて言葉があったが、自分の力で未来を切り開いていく希望が見いだせない人が多くいるということである。そのような子供たちが多くなってしまったのは、やはり何かが間違っていたからであり、当人たちのせいのみにするのは何だか違う気もする。勿論彼らが悪いことは間違いないのだが、彼らのような人が生まれやすくなった背景には何か重要な要素が潜んでいるような気がしてならない。
この事件の黒幕を警察に徹底的に叩いて欲しいという一方で、悪の手先となり下がった、ある意味あわれな人をこれ以上生まないために何が必要かについては、真剣に考える必要があると感じている。
またもう少し考えてみたいが、一旦ここで筆をおく。こうやって書いていても、なんとも悩ましい事件だなと感じている。
読んでいただいて有難うございました。